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Over40おじさんデザイナーの備忘録なブログ

怪我の功名。骨折してひと月が経過 〜僕は生まれ変わる〜

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人に優しくされたとき

自分の小ささを知りました

 

モンゴル800の『あなたに』という曲の、はじめのワンフレーズが心に染み入っている今日この頃。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

 

骨折

2020年2月23日(日)にフットサルで右足首を捻り、右足小指の付け根を骨折してからひと月が経過。

 

とりあえず、右足小指の付け根がバキバキっと折れている、というか、砕けてるようにも見えるレントゲン写真を入手したので載せておきますね。

 

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こんな状態。素人目にも酷い骨折だったことがわかる。

 

手術は回避できたものの人生初の松葉杖生活に突入。

 

日常生活が大変になる事はわかっていたし、覚悟もしていたけれど、これがまた想像以上に大変でしんどい。

 

朝起きて立ち上がるのも、階段の登り降りも、トイレで用を足すのも、着替えるのも、風呂に入るのも、全部大変でしんどい。正直しんどい。

 

 

 

通勤手段

前置きが長くなったけど、足を骨折して日常生活がめっちゃ大変でしんどい!という話をしようというわけではなく、今回の骨折のお陰で僕自身が生まれ変われるような気がしている、という話をしようと思っている。

 

フットサルで足を捻った瞬間「ゴキッ」という鈍い音がして(相手選手にも聞こえるくらいの音!)激痛が走り、すぐに氷で患部を冷やしながら思ったのは怪我の具合より「明日からの通勤どうしよう…」というお仕事の心配。(ヒバ社畜!)。

 

僕は座り仕事なので、仕事自体は問題無いんだけど、問題なのは通勤手段。バイク(原付)通勤をしているワタクシ。会社までは30分弱。骨折したら当然バイクには乗れない。ということは電車通勤なるわけで。

 

我が家から最寄り駅まで徒歩12分→電車は1回乗り換えで20分→降りた駅から会社まで徒歩12分。松葉杖経験者の方ならわかると思うけど、たった5分歩き続けるだけでもかなりしんどい(脇痛いし)。さらに朝の通勤ラッシュ。精神的にもかなりしんどい。松葉杖での通勤はかなりキツい。

 

足の激痛に耐え、車を運転してフットサル場から命からがら家に帰ったものの、嫁さんに心配されずに激おこプンプンされたワタクシ。(まぁ、ここ5年くらいで右足親指の骨折、左足首の剥離骨折と、2度骨折してるのでまたか!またやったのか!っていう嫁さんの気持ちはわかるしゴメン。)

 

激おこされたとはいえ、松葉杖での通勤は考えられないワタクシ。ダメ元で「明日から会社まで…車で送ってくれない?」と嫁さんに聞いたところ「…仕方ないよね。」とまさかのサプライズお返事。と同時に「その代わり足が治ったら旅行に行かせてもらうからね、ひとりで。」と嫁さんが交換条件を提示。そりゃそうだ。嫁さんからしたら僕を会社に送り届けるメリットなど、無いもの。面倒なだけ。もちろんふたつ返事でOK。

 

そして現在、僕は嫁さんのお陰でストレス無く出勤している。

 

 

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怪我の功名

足を骨折したことによって、日常生活に支障をきたしたり、休日に自由に外出できなくなったり、趣味である映画鑑賞やらサッカーができなくなったり、悪いことばかりなんだけど、良かったこともありましてね。

 

まずは、嫁さんとの会話が増えたこと。

 

別に嫁さんとの仲が悪いだとか、そういうわけでは無いんだけど、結婚して20数年も経てば子供も出来て日々バタバタ過ごして、夫婦間の会話なんて少なくなるのは至極当然の流れ。

 

それがこのひと月、通勤時の車内で二人きりの時間が出来て、会話が増える増える。お互いの仕事のことや、子供のことやご近所のこと、テレビドラマやお笑い番組のことなど、ほぼ他愛のない会話なんだけど、明らかに劇的に会話が増える増える。

 

会話が増えるとどうなるのか。仲良くなるというか、関係性が深まるというか、とっても夫婦間の雰囲気が良くなる。すると、相乗効果で家庭がいつもより明るく雰囲気が良くなる。心なしか家族間の会話が増えたようにも感じる。 まさに怪我の功名とはこのこと。

 

 

 

そして僕は生まれ変わる

足を骨折したことによって通勤は嫁さん頼りに。もうね、感謝しかないわけで。通勤以外でも、家の中では飲み物や着る服、それこそテレビのリモコンなどのちょっとしたものまで待ってきてくれたり、僕の代わりに動いてくれるわけですよ、嫁さんは。当然僕はその都度「ありがとう」と嫁さんに感謝の言葉を伝えるわけで。

 

でね、この「ありがとう」って言葉を頻繁に口にすることによって、僕の気持ちにも変化が表れてきて。なんて言うんですかね、嫁さんに対する感謝の気持ちだけじゃなく、優しい気持ちといいますか、愛おしい気持ちが生まれてくるわけで。

 

結婚生活が長くなると嫁さんの良いところだけじゃなく、嫌なところも見えてきたりして、いつの間にか嫌なところばかりにフォーカスしてしまって変な感じになったりして、愛情があるのか無いのかわからなくなってしまったりして。夫婦というより同居人的な関係性になってしまったり…(我が夫婦だけか?)。

 

さらに、誤解を恐れずに言うと、僕は完璧主義なところがあり、人に頼る事が苦手で、一人でも生きていけると思っているような傲慢なところがある人間でしてね。人に優しくされる事もむず痒いし、人に優しくする事も照れ臭くて行動に移せないような面倒くさい人間でして。(心の狭い勘違い男なんですよ、僕って…。)

 

でもね、今回の骨折で(不徳の致すところ)、小言を言いながらも身の回りの世話をしてくれる嫁さんの優しさに触れ、図らずも夫婦間の会話が増え、そして毎日感謝の言葉を口にするうちに、僕の中の傲慢さがスッと消えて素直になれたといいますか、頼ることを覚えたといいますか(頼らざるを得ないんだけど)、大げさかもしれないけど、この歳になって生まれ変われるような、いや、生まれ変わりつつあるような気がしている。

 

僕は今後、嫁さんに対して、常に優しい気持ちで大きな心で接することが出来るという自信ではなく、確信が生まれつつある。

 

そりゃあこの先、人生何があるかわかりませんよ。山あり谷ありですよ、人生なんて。様々な困難が待ち受けているだろうし、喧嘩もするだろうし、もしかしたら離婚の危機だって訪れるかもしれない。

 

でも大丈夫。僕たち夫婦なら乗り越えていけると、恥ずかしながらも思っている。いや、勝手に僕だけが思っている。

 

 

 

最後に

怪我をして日常生活が激変して、自由に行動が出来なくなってしまって、肉体的にも精神的にも辛いことばかりの毎日。

 

でも怪我をしたお陰で、嫁さんとの会話が増えて夫婦間の距離が縮まり(僕が勝手に縮まったと思ってるだけの可能性は否定できないけど)、嫁さんに対する自分の心に変化が訪れて、今回の骨折をポジティブに捉えることが出来ている今日この頃。

 

怪我の功名

失敗や過失、あるいは何気なくしたことなどが、偶然によい結果をもたらすことのたとえ。

 

このことわざをまさに体感している。

 

たまには怪我をするのも悪く無い。

 

でも、次は無いとも感じている。

 

 

 

おしまい。